谷ヶ堂 御詠歌
延朗上人が開いた最福寺は、西芳寺川の北岸、延朗寺山の南麓に在ったと伝えますが、今では延朗上人座像(鎌倉)を祠る延朗堂のみが、山麓にその跡を残しています。開基延朗上人は、但馬の国養老郡の生まれで、八幡太郎源義家四代の孫といわれ、比叡山で天台密教を修めて、安元2年(1176)松室の地に、本尊を阿弥陀如来とする天台宗の寺、最福寺を創建しました。
元弘の乱(1333)をはじめ応仁の乱(1467)などの度重なる戦乱により、大伽藍を誇った最福寺は焼失してしまいました。
その御詠歌の中で「松尾」を「まつのを」と詠っています。
これは、「古代地名を歩く」の著者吉田金彦氏によると
『松尾と書いて[マツオ]と読む所は多いが京都の[松尾]は
正しくは[マツノオ]という。(中略)[マツノヲ]は[マツリヲ]ということで[祭の尾根]という意味である。
[マツ]は松の字を書いているが日本語としてマツリ(祭)の語源になっている神の降臨をお待ち申し上げるという[マツ](待)が本義である。』
つまり降臨される神をお待ちする「祭りの尾根」が、長い時代の流れの中で「松ノ尾山」になり、松尾山と読み替えられてきたものと考えられ、明治の市町村制では、松ノ尾を松尾としたものと推測されます。
「たにがわの ながれも清き まつのをの
おやまにひびく みほとけの声」